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不動産と内金
2006年7月14日、ホルタ内閣の就任宣誓式が、首都ディリで行われ、同内閣が正式に発足した。14閣僚のうち6人が新任で、残りの6人は前内閣からの再任である。国防相は、ホルタ首相自身が務める。ホルタ首相の任期は来年5月の総選挙まで。ホルタ首相は施政方針演説で、鎌倉 不動産
アジアの最貧国である東ティモールの経済をインフラ建設などを通じ底上げし、復興を目指すと表明した。
2007年4月9日、不動産
東ティモール大統領選挙が行われた。これは、2002年独立以後初めての国政選挙となった。登録有権者数は約52万人。独立運動指導者でノーベル平和賞受賞者のラモス・ホルタ首相(グスマン大統領(当時)に支持されている)、旧与党・東ティモール独立革命戦線(フレティリン)のフランシスコ・グテレス(通称ル・オロ)国会議長、野党・民主党のフェルナンド・ラマサ党首ら8人が立候補したが、4月18日、選挙管理委員会は過半数を得た候補がいなかったとして、茅ヶ崎 不動産
1位のグテレスと2位のホルタ両候補による決選投票を実施すると発表した。得票率はそれぞれ27.89%、21.81%で、投票率は81.79%だった。5月9日、決選投票が行われ、即日開票作業が行われた。そして、ラモス・ホルタが制し、5月20日に第2代大統領に就任した。
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2007年6月30日に行われた議会選挙では、グスマン党首率いる東ティモール再建国民会議(CNRT)が18議席を獲得し、議会第2党に躍進。東ティモール独立革命戦線は、かろうじて第1党であったが、65議席中21議席と大幅に議席を減らした。これは前大統領シャナナ・グスマンがCNRTを結成して選挙に挑んだからにほかならない。ラモス・ホルタ大統領は、与野党による挙国一致内閣を目指したが、フレティリンのマリ・アルカティリ書記長は、これに異を唱えた。湘南 不動産
一旦はその考えを受け入れたが、CNRT率いる野党連合とフレティリンは、何週間も論争を繰り返したが合意には至らなかった。これにより、ラモス・ホルタ大統領は、反フレティリン野党連合(37議席)による連立政権を組閣することを決断。8月6日にグスマン党首を首相に指名し組閣を指示、8月8日にグスマンは首相に就任した。これに対して、首相は第1党から出すと定めた東ティモールの憲法に違反するとして、アルカティリが法的手段で闘うと述べ、首相就任宣誓式出席をボイコット、フレティリンはラモス・ホルタ大統領の決定を非難し戸塚 不動産
た。そのうえ、議長もフレティリンではなく、連立を組んだ民主党のアラウジョ党首が就任した。しかし、連立政権は反フレティリンで一致しているだけで、初代大統領として国の混乱を招いた責任は免れないというグスマンへの個人批判を述べるものもいるという側面もある。連立政権はCNRT、社会民主党、民主党等4党。副首相にグテレス。外相に社会民主党幹部のダコスタ。なお、グテレスはフレティリン反主流派。議会選挙では「フレティリン改革派」を組織し、CNRT支援に回った。
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[編集] 地方行政
詳細は東ティモールの行政区画を参照
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東ティモールの地図全13県。国土の北部沿岸を中心とするディリ地方、島の東端部のバウカウ地方、国土の中央部のサメ地方、西ティモールとの境界線付近のマリアナ地方、そして、西ティモール内の飛び地であるオエクシ地方に大きくグループ分けされる。
ディリ地方
ディリ県、マナトゥト県、リキシャ県
バウカウ地方
バウカウ県、ビケケ県、ラウテン県
サメ地方
アイナロ県、アイレウ県、マヌファヒ県
マリアナ地方
エルメラ県、コバリマ県、ボブナロ県
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オエクシ県
[編集] 地理
環太平洋火山帯(環太平洋造山帯)の一部であり、全土の約6割は山岳地帯となっている。最高峰は2963mのラメラウ山(タタマイラウ山)。高温多湿の熱帯性気候下にある。
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[編集] 経済
ポルトガル領時代は、アンゴラやモザンビーク等の他の植民地同様、工業化が全く進まず、自給自足的な農業に依存した貧困状態だった。インドネシアによる統治が始まると社会資本の整備が緩やかに進んだが、1999年の住民投票で独立支持派が勝利するとインドネシア併合維持派の民兵が首都ディリを破壊し、経済は壊滅状態に陥った。元々、独立するも産業基盤が極めて脆弱であり、前途は多難とみられる。
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その後、日本を含む外国政府や国際機関などの支援で徐々に経済復興が進んでいるが、独立後の東ティモール政府も歳入の多くを隣国のオーストラリアなどの外国からの援助に依存しており、経済の自立化はまだこれからである。世界銀行では東ティモール向けの信託基金を設立している。
農業がGDPの約4分の1を占めており、米やトウモロコシ、コーヒー豆などが生産されている。
なお、南方海域には海底油田があり、将来の経済発展の核として期待されている。隣国で、東ティモールへの影響力を獲得しようとしているオーストラリアとの境界線確定が課題だが、東ティモール側はインドネシア政府が結んだ境界線の見直しを求め、交渉は難航している。
[編集] 国民
住民はメラネシア人が大部分である。その他華人、インド人、ハーフカスト(ポルトガル人とメラネシア人の混血)などがいる。
言語はテトゥン語とポルトガル語が公用語である。その他、インドネシア語、英語が使われている。なお、東ティモールの言語状況も参照されたい。
宗教はキリスト教が99.1%(その大半がローマ・カトリック、他にプロテスタント諸派)、イスラム教が0.7%、その他ヒンドゥー教、仏教、アニミズムなどとなっている。インドネシア統治時代の1992年推計ではイスラム教徒が人口の4%を占めていたとされるが、独立によりインドネシア政府の公務員などが東ティモールから退去し、イスラム教徒の比率は大幅に低下した。一方、独立運動を精神面で支え続けたカトリック教会への信頼は高まった。
[編集] 文化
祝祭日 日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日
3月〜4月 聖金曜日 イースター前の金曜日
3月〜4月 イースター 移動祝日
5月20日 独立記念日 2002年
8月15日 聖母被昇天祭
8月30日 住民投票記念日 1999年
9月20日 解放記念日 1999年のINTERFET(国連平和維持活動隊)による解放を記念
11月1日 諸聖人の日
11月12日 サンタクルズ記念日 サンタクルズ虐殺事件の日
12月8日 無原罪の御宿り
12月25日 クリスマス
[編集] スポーツ
2007年MBCクムナム国際サッカー大会で3位(U-12)
[編集] 関連項目
東ティモール関係記事の一覧
ティモール・ギャップ(en:Timor Gap)
ポルトガル語諸国共同体
[編集] 外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、東ティモールに関連するカテゴリとマルチメディアがあります。政府
東ティモール首相府・内閣府 (英語)
東ティモール外務・協力省 (英語)
日系機関
日本外務省 東ティモールの情報
旅行
東ティモール - ウィキトラベル
その他
チモール・ロロサエ情報ページ
テトゥン語
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テトゥン語(Tetum, Tetun とも)はマレー系(オーストロネシア語族)の言語。東ティモールの公用語の1つである。ポルトガル語・マレー語・インドネシア語からの借用語を多く持つ。
16世紀に、ポルトガルによるティモール島の植民地化ののち通商言語として広まった。主要方言は首都ディリの方言で、テトゥン=プラサ(Tetun-Prasa)と呼ばれる。より伝統的な形は地方で話されるテトゥン=テリク (Tetun-Terik)に残る。
東ティモールがポルトガル領であった時代、公用語はポルトガル語であったがテトゥン=プラサは東ティモールの主要な共通語であった。この頃ポルトガル語からの借用が多くなされた。インドネシアが東ティモールに侵攻してこれを占領し、インドネシア共和国の27番目の州として宣言すると、ポルトガル語の使用は禁止された。しかしローマ・カトリック教会は、インドネシア語ではなく、テトゥン語を典礼言語として採用した。また、独立活動を行うゲリラ達の共通語として用いられた。これによってテトゥン語は東ティモールにおける文化および民族アイデンティティの中心となったのである。
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